名前: |
タカギ*ヨシノリ(高木芳紀) |
生年月日: |
1971年9月15日(乙女座) ちなみにイノシシ年である。 |
血液型: |
B型 |
出身地: |
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趣味: |
音楽にまつわるいろいろ。(ジャズバンド所属。トランペット吹き) |
特技: |
鍋振り(中華鍋)。料理後は、材料が飛び散っている。
チャーハンは、パラパラになって、そこらのラーメン屋のおやじ
よりは、絶対旨い。最近そう思います。
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好きな食べ物: |
たまごご飯。温泉たまご。ナタデココ。麺。にんにくしょうゆ漬け。 |
嫌いな食べ物: |
イナゴの佃煮。タガメの炒め物。茹で芋虫(テレビでやってた。) |
好きな人: |
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嫌いな人: |
いまのところ、そんなに嫌いな人って、いないです。
あ、でも押しが強いだけのガサツな人は、やっぱ嫌いだなぁ。
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好きな場所: |
人ん家。(笑)だって楽しいじゃん。どんな人かわかるし。 |
好きな映画: |
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好きな本: |
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好きな言葉: |
「人にはバカと、思われていろ。」 (←悲しいことにホントにバカ) |
チャームポイント: |
特にないんですが、人を油断させるこの顔かな。
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好きなこと: |
日なたで読書→いつの間にか寝てる→起きる→ビール飲む→
ウトウトしてくる(頑張れ!起きろ!)→やっぱ寝る。という休日。
でも、双子が産まれ、ありえない夢となった。
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嫌いなこと: |
つまんないこと。 |
その大きさ: |
166センチ、68キロ、6.25頭身、右投げ右打ち、生涯打率0.365。
手が、普通の人より短い気がする。(だっていつも服屋でスーツ
の袖、異常に切られるモン。) |
家族構成: |
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わたくしの願い: |
市長になること。(笑) 世界平和。 |
1971年(0歳): |
高校の倫理の先生の父と、若い頃は早見優に似ていた(自称)
母の元に、長男として誕生。(2年後に弟が生まれる。)
写真見たら、今と同じ顔。(情けないほどの八の字まゆ毛)
ちなみに、母は死んだ土居勝にウィンクされたことがあるらしい。
でもって、新婚旅行は、ホンコン・マカオ。それなりに楽しそうね。 |
1972年(1歳): |
おじいちゃんの家のお風呂で、思わず脱糞。みんな笑うけど、
そんなもんですよねぇ。そんな母方の祖父は、アイデアマン。
上の階の振動を、吸収してしまう装置で特許をとったのに、ちと
欲張ったため結局どこにも売れず、未だ製品化ならず。
そんな大好きなおじいちゃんも、もうこの世にはいません。 |
3〜4歳: |
基本的に何も覚えていない。名古屋へ引っ越したのはこの頃。
「よっちゃん」の愛称で、近所で人気爆発。(たぶん)
近くのタバコ屋さんちの雑種犬、「シロ」と、徹底的に仲良しに。
ちなみに、シロは、毎日残り物の味噌汁ご飯食ってたけど、
長生きしました。犬にとっては、かなりしょっぱいハズ。 |
4〜5歳: |
私立八田幼稚園に通う。いまだにここの屋上から遠くを見ていたらキングコングが襲ってくる夢を見るので、なにかしら印象の強い場所なのでしょう。おばあちゃんの園長先生が、帰りのバスの中で自家製の芋切干を配ってくれるのが、異常に楽しみだったような気が。ひな祭りでジュリーの「勝手にしやがれ」を独唱して、やんやの喝采。これで、受けるってことに味を占めたのは、間違いない。 |
小学校の頃: |
名古屋市立荒子小学校に通う。1〜2年担当の黒川典子先生は、小学校一の美人だったけど、お尻が大きかった。忘れ物をすると、竹箒(大きいやつ)で生徒のしりを叩くのだ。ちょっと痛すぎ。3〜4年時の担当、福田茂先生は、ザビエル禿げだった。そして腹話術の名手なのだ。ちなみに奥さんの名前は、福田ポジポジイリアドガラシャコスッテンコロリン由紀子といった。クラスの生徒には、全員それを暗唱させてた。(笑)寿限無かよ!ちなみにこの頃、アニメにハマって、オタクになりかけてます。アニメージュ(雑誌ね)とか買ってましたが、半年くらいで飽きた。5〜6年担当の田中きくえ先生は、旦那さんが県警の鬼刑事だ。そして先生も鬼だった。しかし、いい人だった。だってみんな卒業式で大泣きよ。自然に出る涙は、本物です。で、クラスでは小川さんが好みだったのさ。 |
中学校の頃: |
名古屋市立一柳中学校に通う。非行問題がバリバリの頃でした
から、となりの中学校や、となりの区の中学校から、毎日のように
喧嘩をしにやってくる連中がいたものです。今だから平気な顔
して書けますが、当時はちょっとビビッてた。ただ、不良少年も
結局はクラスメートなので、結構仲良くしておいた。(笑)
そのおかげで、生徒会の副会長に立候補した時は、ぶっちぎりで
当選させていただきました。持つべきものは、力のある友達。
1年時の担任、杉戸先生は、音楽の先生。ピーターとコロッケを
足して2で割ったような、妖怪人間ベラだった。見ようによっては、
セクシー路線。2年の時の上田先生は、太っちょな独身女性。
当時流行ってたホンダシティに乗ってた。一度乗せてもらった時、
「車内スゴイ広いですねー。色もかっこいいし。」ってお世辞を
言ったのを覚えています。イヤな奴!3年生の時の担任は、そう
剣道部(わたくし剣道部でした)の顧問、玉木先生。かなりの強面
で、指導もきつかったなー。バンバン面を叩かれたおかげで、
背が止まってしまいました。そんな玉木先生も、若くして亡くな
ったと、若松米穀店の跡取り息子マー君に聞いたっけ。
で、生徒会の会長をしてた高木国行は今どうしてんだろう?
(高木=高木コンビで執行部やってたんです。楽しかった!)
名古屋の、美容室チェーン「高木英治の店・エマ」の息子。
ちゃんとやってんのかねぇ、若旦那。 |
高校生の頃: |
高校は、「アイコ16歳」の作者、堀田あけみの出身校、愛知県立
中村高校。他に有名人は、川島なおみ先輩がいる。で、小説を
読んでいたので、弓道部に入部です。同期がかわいい子ばかり
で、困ったのを覚えてます。ですが悲しいことに、とうとう弓道部
で
彼女は出来なかった。(思えばダッサイ高校生でした。。。)
部活動以外では、ひたすら音楽にのめりこんでいたっけ。
最もハマったのがビートルズ。ちょうどCD化が始まった年で、
聴くもの聴くもの全部にショックを受けていました。そして、
何を勘違いしたのか、ポール・マッカートニーの弾いていた
バイオリン型のベースギターのレプリカを買っては、物真似を
していたもんです。容姿が違いすぎて、マネになってないっちゅう
の!しかも、当時の録音、赤面ものです。よくもまあこんなに
下手くそに弾けるもんです。高校3年生になって、女子の多い
「日本史−生物」選択の文系クラスを選択。なんだか受験勉強
する気が起きなくて、クラスの掲示板にマンガを連載する。
(「ぼのぼの」のパロディで、内容はブラックなもの。)思いがけず
女子に大人気となるが、成績は下がる一方。
で、きっちり大学入試に失敗し、浪人生活に突入! |
浪人時代: |
名古屋だでさぁ、河合塾だがね。たしか1年間で50万円だった。札束を握って申し込みに行ったのを、よく覚えています。それ以降、札束を握れば大体いくらかわかるようになりましたね。親には申し訳なかったが、とっても楽しい1年間でした。パチンコやって、適度に酒飲んで、まったくの親不孝者ですわ。高校のクラスの半分が浪人だったので、そのまま塾に移動しただけって感じ。実は、補欠で静岡大学に合格していたので、親に懇願して、もっといい大学を目指すために浪人したのだが、楽しすぎて遊んでしまい、結局現役の時と同じ大学を受けました。ま、去年落ちた金沢大学に合格したからいいか。この頃の夢もよく見ます。やはり、浪人という身分不安定な立場というのは、18歳の少年にとっては恐ろしいものだったのですね。遊んでいたのは、それを紛らわすためだったのか?どちらにせよ、弱い人間であることは確か。
続く・・・というか、書くの疲れたのでいつ再開するかわかりません。 |